スパン道百篇 その三 ~目標を見定めろ~

 

 

 

物事をスムーズに進める為には、目標を見定め、そこに至るまでの道筋について考えを巡らしてから行動する方が良い。
闇雲に行動ありきという事が良い結果を招くことも無くはないが、それは行動する人の素養や周りの状況、そして運に左右される事が多く、不確実性を高める要因となりうる。

そこで、異性にアプローチする際にも、自分が欲するもの(目標)を明確にしてから行動するという前提で、その方法について書いていきたい。

とある異性がいたとしよう。
この時点において、その異性との関係は特に問わない。

そして、「その異性とどうなりたいのか?」と自問自答してみよう。
例えば、

・お友達になりたい
・手をつなぎたい
・キスしたい
・スパンしたい
・恋人にしたい
・結婚したい

などはすぐに思いつくだろう。
その答えはその時の自分次第だろうが、スパン道の教えを学ぼうとする門徒達のほとんどは「スパンしたい」という回答するのではないかと期待し、話を進める。

選択を終えた後にまず考えるべきは、「スパンしたい」というのはある一つの結果でしかなく、目標とするには短絡的であり、スパンした後のことは具体的になっていないという事実である。
スパンを行ない、その異性との関係をどのようにするのか、というところまでを含めて「目標」としなければ、正しいアプローチを行う事が難しくなり、その結果として目標を達成する可能性を下げてしまう。

 

 

 

 

 

例題として、「ただの知り合いレベルだけど、すごくかわいいので彼女にして、思う存分スパンしたい」という目標を立ててみる。
これだけでも、自分がすべき事がいくつかハッキリする。

まず、知り合いレベルから彼女にするためのアプローチが必要になる。
彼女になったら自然とスパンをする流れになるだろうから、この場合は彼女にすることを優先する行動が正しいと思われがちだが、人によってスタイルが異なるので、スパンをしてから彼女にするというケースも無くはない。
スパン道的発想では、どちらのルートを通っても最終的に目標が達成出来れば良いとするので、ここではこの2パターンについてアプローチを考えてみる。

 

 

Aパターン:彼女⇒スパン

Bパターン:スパン⇒彼女

 

 

■Aパターン:彼女⇒スパン

最初に注意すべきは、自分と女性の関係が「ただの知り合い」という、もしかすると彼女になんてなりえない距離感であることを自己認識する事だ。
しかし、よほどの事が無い限りは、会話をすることぐらいは出来るので、会話の機会を増やす事から始め、相手の趣味・嗜好を知る事に注力し、その趣味・嗜好に合う話のネタを集めよう。
相手との会話のネタが増えれば、自然と長く一緒にいる時間も多くなり、その流れから食事などに誘いやすくなる上に、一緒にいる時間が長くなれば、お互い無意識的に相手の存在を常に感じるようになる。
細かな手法はスパン道百篇の中で伝えていくことにするが、彼女にする為には自分の存在を意識させるというアプローチが大切になってくる。

 

 

 

 

 

では、スパンを先にしてしまうBパターンはどうだろう。

■Bパターン:スパン⇒彼女

スパンをする事が大前提となるので、まずはその距離を一気に縮める必要がある。
ただの知り合いぐらいの距離感であっても、声をかけていきなり食事に誘うぐらいのサプライズがあった方が、相手に色々と知られる事なく、その距離を縮められるのでおススメだ。
食事に行き、相手の会話に合わせながら彼氏の存在や性生活についての話題をちらつかせ、その反応を見ながら自分の存在を性的なものだと意識させていく。
可能であれば、タイミングを見て手を繋いだり、体を寄せあったりして、相手に自分の体を意識させていき、会話が盛り上がってきたところでキスをしてみる。
つまり、自らの情報はほとんど出さずに、相手をその気にさせる事にすべての力を注ぐのだ。
運よくスパンが出来れば、スパン後に「俺と付き合おう」と言えばいいだろう。
そのタイミングで告白すれば、女性から断られる可能性はかなり低くなる上に、仮に断られたとしても、恋人以外の関係を保てる可能性が残されている為、フラれてもダメージが比較的軽微である。

 

 

Aパターンはお互いの理解を深め、自分の良さをアピールした上で、相手に気持ちを伝えるという流れになり、その先にお互いに好意をもった上でのスパンが待っている。
しかし、その関係を深めるのに時間を要し、またそれなりにコストをかける必要もあるだろうが、必ずしも結果が伴うという保証もない為、あれこれと頑張ったのに何も得られなかったという「くたびれ損」に終わる可能性がある。

Bパターンでは、とにもかくにもスパンをしようという気持ちにさせ、スパンをしたんだから彼女になってよという逆説的なアプローチになる為、その時のスパンは純粋に相手を求めあった結果の本能的なスパンとなる。
その為、そこに愛情が存在しない可能性が多分に残されているということと、仮に少なからず愛情があったとしたとしても、スパンをした後に冷めてしまう(これはスパンの出来に依るわけだが。)事だってあるものの、スパンをしたという結果を残すことが出来る為、新たなチャレンジをしようとするモチベーションは損なわれないだろう。

 

 

 

 

 

今回挙げたのは、あくまで極端な一例であり、多分に俺の偏見が含まれているのだが、目標の違いによってアプローチ方法を変える必要があるというのは分かってもらえるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

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